【都市伝説・日本史】坂本龍馬は実は生きていた?
(出典:ウィキペディア)
先のブログで坂本龍馬は勝海舟の刺客だった今井信郎により暗殺されたと紹介しましたが、実は生きていたという都市伝説があるので紹介します。
坂本龍馬は大政奉還、薩長同盟など政治的に危ない橋をわたっているにもかかわらず、当時では珍しい写真を残すなど、自ら顔を晒して、見つかりやすい状況を作っています。
実は、これは坂本龍馬本人ではなく、影武者の写真という説が。。。
つまり、実際に殺されたのは、坂本龍馬本人ではなく、影武者の方。
では、本物の坂本龍馬はその後どうしたのか?
当時、坂本龍馬暗殺計画を事前に知った伊藤博文が、岩倉具視、板垣退助と相談し、長崎の武器商人トーマスグラバー協力の元、極秘裏にグラバーの故郷イギリス(スコットランド)へ逃亡させ、坂本龍馬はイギリスで生涯を終えたいうのです。
(※グラバーは反政府軍に坂本龍馬の会社経由で武器を販売していた)
坂本龍馬がイギリスにいたとされる理由
明治4年、公家出身の岩倉具視がリーダーとなり、伊藤博文、木戸孝允、板垣退助と明治政府の重要人物を中心に総勢107人で構成された岩倉使節団が、米国を皮切りに、欧州諸国を周っている。
当初、10カ月間の予定だったが、実際は1年10カ月後に帰国しており、イギリスには4カ月と欧州では一番長く滞在していた。
使節団の目的の一つである、徳川幕府が締結した各国との不平等条約の解消が一切実現できなかったにもかかわらず、一切のおとがめがなかったという。
実はこの使節団の真の目的は、イギリスで坂本龍馬に会い、新政府の詳細を話し合うこととされており、それを実現したからとされている。
※諸説あり