【都市伝説・日本】キリストの墓は日本にあった?
イエス・キリストは、ユダヤ教の体制を批判したことでゴルゴダの丘で処刑されたというのが今まで知られている歴史です。
ところが、青森県にはこれとは全く異なる独自に伝わるキリストに関する言い伝えがあります。
青森県新郷村(しんごうむら)にキリストの墓と呼ばれているものがあり、キリストと弟のイスキリが埋葬されていると言われています。
実はキリストは21歳の時、日本(天橋立)に来ていたとされ、そこで日本語や神学を学んだとされています。これが聖書でいうキリストの失われた17年の間だったと言うのです。
33歳の時、ユダヤに戻ったとされています。この時、ローマ帝国に捕まり処刑するのですが、実際処刑されたのは弟のイスキリだったと言います。キリストは難を逃れ、再び日本に向かったそうです。
2度目の日本訪問では青森県八戸市へやってきて、「十来太郎大天空」とう名前で第二の人生を過ごし、日本人と結婚し3人の子供に恵まれ、106歳で人生を終えたとされています。(無茶苦茶長生き!?)
キリストの子孫は日本にいて、沢口家が血を引き継いでおり、実際、沢口家の本家の人々は日本人離れした顔立ちだったそうです。
お墓のある新郷村は元々「戸来村(へらいむら)」と呼ばれていたのですが、これはヘブライ語がなまって「へらいむら」と言われたのでは?と言われています。
また、この村では、昔から父親のことを「アヤ・ダダ」、母親のことを「アパ・ガガ」と呼んでおり、これはアダムとイブがなまったのでは?と言われています。
実際は、熱心なキリスト教信者がいて、後に作った話という説もありますが、真実は謎に包まれています。
※諸説あり