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【都市伝説・日本史】チンギス・ハンは源平合戦の功労者、牛若丸こと源義経だった?

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モンゴル帝国初代皇帝として、現在のモンゴル、ロシア全域を統治したチンギスハン。実はこのチンギスハンは源義経がモンゴルに渡ってチンギスハンを名乗り初代皇帝になったと言われる都市伝説があります。

 

源平合戦で活躍した源義経は、頼朝の許可なく朝廷から官位を受けたことで源頼朝から嫉妬・妬みを買い、源頼朝と対立することとなりました。

鎌倉に入ることを許されなかった源義経は、幼少の期にお世話になった奥州藤原氏を頼ることにしたが、源頼朝の圧力に屈した奥州藤原氏の裏切りに合い、衣川館で妻子と共に自害したとされています。

 

ところが、源義経は実際には自害しておらず、蝦夷(現在の北海道)に逃れ、対話陸に渡ってモンゴル帝国を作ったという都市伝説があります。

 

この説を最初に唱えたのはドイツ人医師のシーボルトシーボルトの著書「日本」の中で、源義経=チンギスハンと結論付けています。

 

シーボルトの主張

源義経が自害したとされる時期からチンギスハンが歴史に突如現れている。

②チンギスハンの得意としていた長弓は日本独自の武器で、元々モンゴルにはなかった。

③チンギスハンの「ハン」は遊牧民の君主が名乗る称号で、日本の朝廷の役職名「官(カン)」に由来しているとの主張

 

その他、牧師であり、アイヌ民族研究家であった小谷部全一郎(おやべぜんいちろう)も著書「成吉思汗八源君物語」の中で、源義経=チンギスハンと結論付けています。

 

小谷部全一郎の主張

①日本語とモンゴル語、顔立ちが似ている

②チンギスハンは「ニロン族」出身。この「ニロン」は日本を指している

③チンギスハンの別名は「クロー」。クローは義経の官職だった九郎判官から名付けられた。

 

【おまけ】

判官びいき(ほうがんびいき)という言葉があります。弱いものに同情し、応援することを指しますが、この言葉は、源義経が朝廷から任命された官位が九郎判官だったことが由来とされています。

 

※諸説あり