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【都市伝説・日本史】国宝松江城は若き娘の人柱のおかげで完成した?

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1611年の江戸時代初期、初代松江藩藩主・堀尾吉晴によって築城された国宝松江城。この築城にあたり、悲しい都市伝説が残っています。

 

1607年、松江城の築城が開始されましたが、天守閣の石垣工事で、石垣が崩れる事故が多発。工事がなかなか進まないことから、「人柱を立ててくれ!そうすれば工事がうまくいく!?」と工夫たちから意見が出て、時の藩主堀尾吉晴・忠氏親子は人柱を実行することにしました。

 

松江藩は人柱の人選のために盆踊りを開催。その中で一番美しく、一番踊りが上手な若い娘が人柱という生贄に選ばれました。若き娘は盆踊りの最中に藩士によってさらわれ、事情もわからないまま天守閣の石垣の中に生きたまま埋められてしまいました。

その後、石垣の崩落はなくなり、順調に工事が進み、1611年に松江城は完成することとなります。

 

ところが、人柱実施直後に息子・堀尾忠氏が、そして、松江城完成直後に父・堀尾吉晴が急死。人々は、この急死は娘の無念の祟りの仕業と恐れました。

さらに、盆踊りを開催すると、天守閣から少女のすすり泣く声が聞こえるという怪奇現象が発生し、盆踊りは開催されなくなりました。

その後、恐れをなして天守閣には誰も近づかくなり、1638年の松平直政入場まで、天守閣は放置され、荒れ果てていきました。

 

今でも尚、松江城では、娘の祟りを恐れ、盆踊りを踊っていないそうです。

 

※諸説あり