【都市伝説・童謡】『赤い靴』の切ないお話
横浜のシンボルとなっている童謡「赤い靴」。実は赤い靴を履いていた女の子にはモデルがいました。静岡県清水市出身の岩崎みき。母親はシングルマザーで、再婚をきっかけに北海道に移住するが、貧困が理由で2歳になった娘のみきをアメリカ人宣教師の養子に差し出すこととなった。
歌詞の1番が養子に差し出したところを描写している。
その後、アメリカ人宣教師は本国(米国)へ帰るため、横浜港から出航したとされる。
この部分が歌詞の2番に相当する。
3番以降は母親の想像の部分で、娘がアメリカで幸せに暮らしているだろうと夢見ていたことが伺える。
ところが、実際は、アメリカに出航する直前、9歳になったみきは結核にかかり、帰らぬ人となり、実際はアメリカには行っていなかった。その事実を母は知らず、64年間の生涯を閉じたそうです。
現在、みきは東京の六本木にある鳥居坂教会の共同墓地に埋葬されている。
幸の薄かったこの親子を偲んで、出航した横浜と故郷の静岡(日本平の山頂)に記念碑を作ったそうです。
実に切ない童話です。
『赤い靴』
作詞:野口雨情 作曲:本居長世
- 赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった
- 横浜の 埠頭から 汽船に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった
- 今では 青い目に なっちゃって 異人さんの お国に いるんだろう
- 赤い靴 見るたび 考える 異人さんに 逢うたび 考える