【都市伝説・日本史】なぜイギリスは日本にアヘン戦争を仕掛けなかったのか?
お隣中国(当時は清)は、1842年にイギリスとのアヘン戦争で敗北を期して、香港がイギリス領になったのはご存じかと思います。
これは、イギリスが中国人をアヘンでボロボロにして、国を乗っ取る作戦だったとされています。
では、なぜ日本はアヘンでボロボロにならなかったのか??
実は、日本にもイギリスからアヘンが入ってきていましたが、中国の状況を見て、国民自らアヘンを避けていたとされています。
そこでイギリスは違う戦略で日本を乗っ取ろうとしたのです。
そこで見えてくるのが明治維新の3つの謎です。
明治維新の謎(1)
幕末から明治維新にかけて、アヘン戦争の中心人物が次々と日本に上陸しています。その代表格がアヘン商社であるジャーディン・マセソン商会の長崎支店長として送り込まれたトーマスグラバー。
グラバーは坂本龍馬を介して、薩摩藩と長州藩にイギリスの武器を売り捌き、倒幕を加速させたとされています。
つまり、倒幕は坂本龍馬や薩長連合だけでは実現できず、背後にいたイギリスの力があってこそ倒幕が実現したのかもしれません。
明治維新の謎(2)
長州ファイブと言われた、伊藤博文、井上馨、遠藤謹助、井上勝、山尾庸三。
全員、明治政府の重要人物となりますが、実は、全員長州藩の下級~中級武士。
この5人は、当時無断で海外留学=死刑だったにも関わらず、イギリスに留学し、近代文明を学んで帰国しています。しかも、当時の留学には相当なお金がかかったとされ、5人で11億円もの費用がかかったとされますが、当然下級武士には支払うこともできず、誰が支払ったのか今も不明です。
明治維新の謎(3)
明治政府がイギリスを模倣して大阪に造幣局を作りました。そこでは20円金貨が製造されていましたが、日本国内では一切流通せず、イギリスやアメリカからの輸入に対する支払いのためだけに使われていました。20年間で12トンに及ぶ純金が海外に流出したことされています。
しかも、この造幣局の局長は設立から20年間の間、長州ファイブの5人のみが局長を務めたとされています。
イギリスがお金の作り方を教え、お金を自由に操れる造幣局にイギリスに密かに留学した5人だけが局長を勤めたというのは偶然とは思わない状況です。
さらに、ロンドン大学には長州ファイブを称える石碑があるそうです。
これら3つ明治維新の謎から、イギリスは、日本人がアヘンを吸わないことから戦争という形は諦め、、一部の人間を操って、イギリスに都合の良い国を作り、莫大な利益をあげたのでは?とささやかれています。
ちなみに、一番最初に明治政府を認めた国がイギリスでした。。
その他、明治維新の謎
・明治維新の代表的な建築物(東京駅、造幣局など)はなぜすべてイギリス製?
・イギリス公使と面会した徳川慶喜が面会後すぐにお寺で謹慎したのか?
まとめ
明治維新は日本を変えたいと望む若者によって実現されたことと思っていましたが、実は、大英帝国の世界征服の1パーツとして操られていただけ!と考えさせられる都市伝説です。
※諸説あり